MEMORIES
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卒業式
当初は出ないつもりでいたくらい興味のなかった卒業式だが、いやー出てよかった。楽しかった。
卒業式は、袴をはきました。
なんか和服を着ると、いつも思うけど、なんか体も気持ちもキリッと引き締まる。
背筋がシャンとして、おぉ、なかなか良いじゃないの、と思う。
けど、学部長の話の長さには、シャンを通り越して、アバラが圧迫されて死ぬかと思った。
(左)日本風の装い(笑)のまなっぺと私 (中)この2人もインドへ行きました! (右)高野ゼミのみんな。華やかですね〜。
そして、何が楽しかったって、その後の謝恩会。
卒業式に現れたと同時に、「え〜、美穂とまなちゃんはサリー着てくると思ったのに〜」なんて言われたけど、
期待を裏切るわけがないじゃないですか。
本場インドで仕立ててもらってきたんですから。本気ですよ私は。
まなっぺと一緒だから出来たようなもんだけど、楽しかった。
コスプレする人の気持ちがちょっとわかった気がした。視線を浴びる快感というかね。(まぁその視線は軽蔑の視線なのだが)
他にチマチョゴリ着てる人とかいたけど、あれは多分留学生だなぁ(爆)
うちらもなんかビデオに撮られてたけど、
どうしよう、学校紹介ビデオで「インドからの留学生もおり、国際色豊かな…」とかナレーションついてたら…。
ともかく、サリーは大好評で、軽く撮影会が行われるほどでした。
いつの間にか、まなっぺと私の間に人を挟んで「ナマステ」または「マハラジャ」のポーズで写真を撮る、というのが出来、
「観光地の記念撮影みたい…」とつぶやかれていたほどです。
(上)左が「ナマステ」、右が「マハラジャ」
撮影会の一部。
あんな大勢の前でサリー着れる事なんてないからなぁ。いい思い出だぁ。青春青春。
今度の上司の結婚式で、久々に着ようと思うんですが、どうですかね。
新婦より目立ってしまいますかね。
次の日から仕事なくなってしまいますかね。席ないですかね。
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よさこい
もともとあまりメンタルの強くない私は、スポーツなら“自分との戦い”になる個人競技は向いていないと思う。
にもかかわらず、思い返せば剣道・水泳・陸上・テニスと、モロ個人競技を続けてきた。
仲間と声を掛け合い、励まし合い、大勢で…とそれに憧れた反動か、私は1人の競技から100人規模の団体競技、よさこいに入った。
6月に迫る本祭に向け、週4以上の練習。
バイトをする暇もなく、ヘタしたら限りなく始発に近い便で出て、終便で帰宅、という事もあった。
2002年の演舞のテーマは「太陽」。
どう太陽だったのかは今となっては(今になっても?)よくわからないけど、
HIPHOP調のダンスは、ピンで踊るにはなかなかカッコいい振り付けだったと思う。
(100人規模で踊ると揃いようがない、という反語でもある)
とりあえず楽しく踊れたから、まぁ良かったのかな。橋本部という大事な仲間にも出会えたし。
(左)02の衣装はこんな感じでした。 (中)私のグループ、A連。よく走る連だった…。 (右)振付班のクラークさん。無事パレードを終え、歓喜の抱擁
本祭が終わり、来年も出るか出ないか、と悩んでいた矢先、紗矢香と私のもとに、スタッフ(チームをまとめる役)をやらないかという話が来た。
「人が足りてないならやってもいいかな…」と思い、その旨を伝えると、
「美穂と紗矢香のやる気を買って、スタッフとして頑張ってもらいたいと思う!」という熱い返事が届き、
買われるやる気なんて持ち合わせていなかった私たちは、「や、足りてるなら別に…」と戸惑ったが流れ上スタッフになった。
そんな成り行きでスタッフになった私たちは、常にみんなから一線を画していた。
今思えば、相当うっとうしいスタッフだな。
しかしそれもいつの間にか「毒キャラ」として定着し、熱して周りの見えなくなるみんなを冷ますような言動をしたり、
時に摩擦を起こすスタッフたちを遠巻きに観察し、おいしい指摘だけしたり、まるでコウモリのような活動をしていた。
2003年のテーマは花火。昨年の反省もあってか、団体を意識したわかりやすい振り付けで、衣装の見栄えも良く、
私たちは奇跡的に、ファイナルステージ進出を決めた。(400チームくらいある中で10チームくらいしか出れないはず)
スタッフという事で、ちゃっかり最前列のポジションをもらっていた私は、ゴールデンタイムのテレビ出現も果たし、
何の悔いもなく、これを機に引退した。(他のみんなは3年目まで続けていた)
(左)仲の良かった先輩、彩子さんと吉直さん (中)地味に大好きだったカメラマンの菅原さん (右)ギラギラの衣装。むしろ03の方が太陽っぽいんじゃねぇか?(毒)
練習も会議も面倒くさくて、本祭と飲み会だけちゃっかり楽しむ卑怯者の私が、唯一大好きだったのは、練習前のストレッチだった。
バックストリートボーイズや、サマンサマンバなどの曲に合わせて、ゆっくり体を伸ばす至福の時。
ストレッチが終わったら、「よし、じゃ、お疲れ」と帰っても満足なくらい、好きだった。爆
今でもたまに、あのストレッチが恋しくなる時がある。
けど、曲かけても思い出せない…誰か教えて。
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教育実習
「職権乱用」…これが、教育実習中に私の頭をかすめた単語であった。
高校時代、私は野球部の先輩が大好きで、野球部に少しでも近づきたくて、
よく部活中フルスィングをして球を野球部まで飛ばしたりした(注:テニス部でした)。
野球部の練習場は、そんな理由がないと近づけないくらい、私の中では神聖な場所だった。
が、時代は変わり、私は教師。
野球部出身の実習生が練習に行くというのに便乗し、一緒に練習場へ。
礼儀正しい野球部員たちは、練習中でも、帽子を取って、別にOBでもない私に「チワス!」と頭を下げてくれる。…快感。
いつまでネット越しに練習を見ていても、誰も何も言わない。だって私、教師だから。
私は実習中、カナリの頻度で野球部の練習場へ通った。(うざい)
他にも、私の担当クラスにいた野球部の男の子を溺愛した。
「似たような子ばかりで見分けがつかない」と、なかなかクラスの子供達(特に女の子)の顔と名前が一致しない中、
野球部は全員似たような坊主頭にも関わらず、しっかり見分けて速攻覚えた。
野球部というのはクラス関係なく集団で行動する傾向があるのか、休み時間にはよく廊下でタムロっていた。
私は超人的な速さで他のクラスの野球部員の名前も覚え、授業の合間に廊下ですれ違うと、
「先生ェ〜」と構ってもらえるようになった。(←どっちが生徒だ)
もう本当にみんなかわいらしくて、でも練習してる姿はかっこよくて、私はすっかり17歳に戻ってときめいていた(爆)。
「高校球児と付き合うの、夢だったのになぁ…」と、ふと思い出し、
元野球部の正和に「せめてあと3歳若ければなぁー!」と漏らすと、
「3歳若けりゃとか言わずに行ってまえば?ネタ的にはその方がおもろいで」と言われ、ちょっとまんざらでもなくなりかけたが、
まぁそこは教育実習生という身分ですし、何だかんだと生徒との間にジェネレーションギャップを感じる事も多かったので(涙)
もちろん何もありませんでしたが。
しかしまぁ、高校球児というのは、いくら年が離れてしまっても、私の中では永遠のアイドルのようです。
(左)担任クラスにいた野球部の子。でももう辞めちゃったんだよなぁ…涙 (中)他のクラスだったけど、なまら溺愛してた子。試合見に行きたいー!
(右)こっそり夜に学校に忍び込んだ時、練習上がりの子たちと遭遇。担任クラスの野球部3人。
野球部の他にも、生徒達はみんな、本当にかわいかったなぁ。
高校1年生ってこんなにかわいかったっけ?私もこんなかわいかったのかしら。
教案作りや授業をするのはすごく大変だったし、担当の久保谷先生にダメ出しされて、涙を流しながらチャリをこいだ日もあった。
自分が当然のようにわかっている事を生徒に教えるのがすごく難しくてもどかしくて、
あー、先生ってすごいな、大変なんだな、と、色々考える事もあったし、勉強にもなった。
結局私は英語教師という道は選ばなかったけれど、…今さらだけど、やってみたいかも。
高校球児と一緒の空間にいられるなんて、夢のような仕事じゃないですか。(不純な動機)
(左)教えに行ってたクラスのホッケー部の子。肩に手を回してもらって嬉しさ丸出しの私の顔…。(中)担任クラスの女の子。みんなかわいかった!(右)担任クラス最終日。感涙モノでした。
(左)一緒だった実習生のみんな。濃かった…。 (中)英語科の打ち上げ。お世話になりました!! (右)登校途中にて。桜の綺麗な季節でした。
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東京旅行
1年生の終わり頃、紗矢香とまなっぺと3人で、どこかへ行こうか、という話が持ち上がった。
最初は韓国あたりにしようという話だったのだが、意外と費用がかかり、その割に見所がないという問題に直面し、
紗矢香の「これだけのお金払うなら、普通にディズニーランドとかの方が全然楽しいかも」という発言を機に、
まなっぺの「うち今家族東京だから、泊まる場所はあるし」という助言も重なり、
気づけば私たちは、東京大旅行へと旅立っていた。
これがまたありえないハードスケジュールで、とにかく超★濃密だった。
1日目:始発の飛行機で大阪へ。1日ユニバーサルスタジオで遊び、最終便で東京へ。
深夜に池淵家到着。翌日はよそのお宅での初日だというのに昼まで爆睡。

(左)ETのアトラクション。1つ目だったので張り切ったがイマイチで3人の間に微妙な空気が流れた。
(中)パレード。彼はリッキーマーティン役だった。トムクルーズに似てる気がする。とりあえずかっこいかったので追いかけた。
(右)ETのお土産屋さん。ここまでやるかというくらいET詰め。
2日目:横浜へ。昼に起きたにも関わらず、精力的に横浜中華街他、赤レンガ倉庫、ランドマークタワーなど、横浜近辺観光。

(左)横浜はやはりデートスポットで、野鳥の会のカチカチでカウントしたくなるくらいカップルだらけの洒落た場所だった。
(右)なまら強風だった。
3日目:池淵母にスペイン料理のバイキングをご馳走になり、満腹なのに銀座のデパ地下等、食い歩き。
4日目:終日ディズニーランドで夢の国の住人となる。

(左)この年はディズニーランド生誕20周年の記念年だった。
(中)パレードの様子。全員使い捨てカメラの為、うまく撮れた写真はわずか…。
(右)シンデレラ城のショー。なんと抽選で指定席を当てました。記念撮影。
5日目:いいとも観覧後、ジブリ博物館へ。宮崎ワールドに浸る。
ちなみにいいとものゲストは爆笑問題・ぐっさん・元モー娘の中澤・井川遥・羽賀研二・テレホンショッキングが木村佳乃。
タモさんに「そーですね」言えただけで幸せだった。

ジブリ博物館にて。トトロの下、まなっぺの指差す先には真っ黒クロ助が☆
6日目:2日連続いいとも観覧後、竹下通りを観光、夜は劇団四季のライオンキングを鑑賞。汐サイトにて東京の夜景を堪能。
いいともは、ガレッジセール・坂下千里子・ピーコ・麻木さん・鶴瓶・雛形あきこ・モー娘の飯田と高橋愛、
テレホンショッキングは反町!放送終了後トークも面白かった。
唯一の後悔は月〜金まで観覧希望出したのにSMAPの日が当たらなかった事…
7日目:終日ディズニーシーにて再び夢の国の住人に。夜はお台場で、池淵父にイタリアンのバイキングをご馳走になった。

(左)ピノキオと。ミッキーの前には行列が出来ていて、ピノキオで妥協(ごめん、ピノキオ)
(右)バックはアラビア。シーの方がオトナっぽくて私は好きだった。
8日目:月島にて本場のもんじゃを味わい、帰途。

まなっぺの妹、ともかちゃんと。池淵家には本当にお世話になりました…
「1週間も一緒にいたら、きっと喧嘩するね」「ついにうちら喧嘩するね」と言っていたのだが、
結局最後まで喧嘩もなく、本当に楽しく過ごす事が出来た。
その後も相変わらず仲良しで、最後の卒業旅行には、タイにまで行ってしまったのでありました。
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紋別旅行
2007年2月。ひなが北海道に遊びに来てくれた。
ひなとの出会いは2度目の台湾。
初めて私が台湾を訪れた時、飛行機で偶然一緒だった台湾人の大学生たち(情報工学科BOYS)と仲良くなり、
その半年後に再び会いに行った際、彼らに紹介された日本語学科GIRLSのひとりがひなだった。
ちなみに情報工学科BOYSと日本語学科GIRLSは、私をきっかけに交流を深め、私が去った後もイロイロ楽しい学生生活を送ったみたいですが??
まぁそれはいいとして、親切にしてくれた台湾人の中でも、ひなは特に熱心に日本語で話しかけてくれた子だった。
それから1年ほど経ち、ひなは日本に留学してきた。
場所は香川県という事で、同じ日本といえどなかなか遠かったのだが、
ひなはこの冬、北海道旅行を兼ねて、私に会いに来てくれる事になったのだ。
台湾で会った子と、日本で再会。なんて素敵な話☆
台湾も香川も暖かいところという事で、ひなは今回雪を見れるのを楽しみにしていた。
そんなひなのリクエスト。それは「流氷が見たい」。
北海道に住んでいても、道東道北の育ちでない私は、未だ流氷を見た事がない。
自分自身こんな機会でもないと流氷なんか見ないだろうという気持ちと、私が台湾にいた時にひながしてくれたようにもてなしたいという気持ちで、
暖冬や天気の面での不安はあったが、私たちは流氷を見に行く事に決めた。
片道5時間の雪道をバスに揺られ、いざ流氷観測船ガリンコ号の待つ紋別へ。
昼下がりのスタートだったが、紋別の観光地はほとんど一ヶ所に集まっていて、見たかった場所は全部見て回る事が出来た。
(左)あざらしに触れる事の出来るあざらし館。(中)オホーツクタワーにてクリオネ鑑賞。(右)流氷まつりステージ。
そして、観光が終わったここから「ウルルン紋別滞在記」、もしくは「紋別に泊まろう!」が始まった。
宿へ帰る交通手段をなくし途方に暮れていた私たちに、休憩所のおばさんが声をかけてくれたのがきっかけで、
なんと雪まつりのお手伝いを兼ねて、休憩所に泊めてもらえる事になったのだ!
お手伝いというのは、休憩所の裏にある氷のステージで明日結婚式があるという事で、
赤いカーペットを敷いたり、氷を削って台を作ったりするというもの。
しかし、まかない飯に夢中になっているうちに作業は終了。
そして、作業を終えたおじさん達がどんどん休憩所に集まってきた。
話を聞くと、この雪まつり会場は「あいすらんど共和国」という国で、会場を切り盛りしているこのおじさん達は、
それぞれ「大統領」「事務次官」「国建委員」など肩書きを持つあいすらんど共和国の国民であるらしい。
まぁそれはいいとして、とりあえず宴会が始まった。
お父さんと同じくらいのおじさん達が、こうして頑張って会場を創り上げ、それを誇り高く話してくれたのは(半分は酔っ払ってたけど)すごく貴重で、
何より、突然訪問した私たちをこんな温かく受け入れてくれて、こんな偶然の出会いにとても感動した。
(左・中左)あいすらんどの大統領と副大統領。(中右)「好きなだけ食え!」鍋いっぱいの牡蠣!!!!!(右)集合写真。
翌朝は、メインのガリンコ号だ。
朝1番、6時出港。私の薄着を心配して、あいすらんどの方がジャンパーを貸してくれた上、港まで送ってくれた。
今年は暖冬という事で、流氷がなかなか来ず、前日は全く見れなかったようだったのだが、
私たちはラッキーな事に流氷に巡り合う事が出来た。
私は、もともとあまり自然遺産的なものには興味がない方だったのだが、
北の色濃くて深い海と、目の前でぶつかっては砕けてゆく流氷には、予想外に感動してしまった。

(上)ガリンコ号にて。
(上)動画も撮ったけど、やっぱり臨場感が…
流氷の後、あいすらんどの方々は、「せっかく来たんだから体験していけ」と、氷の塊を切り出してくれて、実際にノミで削らせてくれた。
(左)ガリンコ号。これは前代。(中・右)氷を削っているところ。ひなは表面に自分の名前を彫った。
最後、あいすらんどの方はバス乗り場まで車で送ってくれたうえに、紋別限定キューピーのストラップまでプレゼントしてくれた。
最後の最後まで優しく温かいあいすらんどの方々を見て、ひなは最後手を振りながら「泣きそう…」と言っていた。
ひな、多分だけど、これは日本における稀なケースだと思うよ。
もちろん「田舎に泊まろう!」みたく、民泊させてくれる人も探せばいるんだろうけど、こんな温かいもてなし、なかなかないよ…!
「日本にいてもこんな旅、あるんだなぁ…」って、私もすっかりひなと一緒に旅を楽しんで、束の間の紋別旅行は幕を閉じたのでした。
あいすらんど共和国>>>http://love-iceland.com
紋別は、夏に道北をバイクで周る時の基点にもなるんだそうです。
冬の雪まつり期間は、雪まつりの設営を手伝う事で寝食タダになる長期ボランティアさんも募集してるそうです。
(もちろん私のような一泊二日の旅人も泊めてくれるとの事なので、興味を持った方はぜひ連絡を!)
紋別は、優しい人がたくさんで、とても良い街ですよ★★★
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